沖ヨガ入門
精神が肉体を自由にできる
沖正弘 著
本体1500円+税 ISBN978-4-87369-101-5
2019年11月発売 四六版並製 248ページ
【著者紹介】
沖 正弘(おき まさひろ)
1919 -
1985年。沖ヨガの創始者。「生命即神」と説く求道的で総合的な沖ヨガは、日本のみならず世界に影響を与えた。著書に『ヨガの喜び』(光文社)、『沖ヨガ美療』(季節社)など。
【出版社より】
本書は実質的に、二部構成となっています。第一部は、一章から六章までのインドでのヨガ体験記で、第二部は、第七章の「ヨガ実践教室」です。
読み通して面白いのは、何と言っても第一部でしょう。この部分は『ヨガの楽園──秘境インド探検記』というタイトルで昭和三十七年に発表されたものです。ずいぶん昔に書かれた本ではありますが、時間が経った分だけ本書は、そのあやしげな魅力が増してきた感があります。これはそもそも、ヨガについての情報を分かりやすく整理して紹介するような類の入門書ではありません。言ってみれば、私たちが信じ込んでいる固定観念や常識に揺さぶりをかけて、ヨガの世界へと導いていく、そんな入門書です。
若き日の沖正弘氏も、インドの地で常識を揺さぶられる体験をいくつも重ねて、ヨガに魅了されたようです。当時はまだ、日本でヨガを知る者がほとんどおらず、謎に包まれていました。そんな時代に「秘境インド」に渡った沖氏が出会ったヨガは、実にあやしげな魅力に満ちています。歴史的な資料としての価値もありますが、彼の驚くべき体験記は、そこらへんの小説よりも遥かに面白く読めるに違いありません。
第二部では、具体的なヨガの行法が解説されています。これは通読するよりも、折に触れて、自分の興味ある項目だけを拾い上げて読むのに向いています。症状別にどんなヨガの行法が有効であるのか、コンパクトにまとめてあって便利です。
本書において、気取りのない普通の青年として登場する著者の沖正弘氏ですが、彼は後年、世界的な影響力を持つヨガの指導者となりました。彼が創始した沖ヨガは、禅や漢方医学なども取り入れた総合的で独特なヨガです。しかし、その根幹となる部分が、インドでのヨガ修行で築かれたことは間違いありません。本書は、沖氏がヨガに入門した体験記であると同時に、沖ヨガへの入門書でもあるわけです。
沖氏がヨガ研究所に入門したときに言われたことは「ヨガというものは、理論的というより、長時間の体験で作られた結果論的なものだ。指示どおりに無条件に実行し、体験をとおして考える決心があるのなら、はいれ。」(p.50)というものでした。本書の第七章などでは、ずいぶんと理論的なことが述べられているようですが、それでもなお「ヨガのすべての行法は、理屈よりも、体験的な真理といった方がふさわしい。どういうことが自己の心身のためによいかは、私たち自身が知っている」(p.177)と沖氏は述べています。私が思うに、この言葉は極めて重要です。体験を通して考えるのでなければ、ヨガの真理は、ただの固定観念や俗説になってしまうことでしょう。しかし、ヨガが目指しているのは逆に、固定観念や俗説から解放されることなのです。
沖氏は、まえがきで「私は、ヨガは人類の産んだ最高の英知であると思う。そして、この宝を、一人でも多くの日本人のものにしてほしい──そう思って筆をとった」と書いています。時代の流れの中でいつしか本書も絶版となっていましたが、まえがきを書いた昭和三十七年の沖氏と同じ想いで、本書を再発行させていただきます。
【本文より抜粋】
心臓が止まっても生きている人
はじめて聞く「ヨガ」の名
心臓が止まることは死ぬことだと私たちは思っている。みなさんも、心臓を自分で自由に止めて、三十分ばかり死に、また生き返る人が あるなどといっても、信じられないだろう。私は信じないどころか、そんなことは考えてもみなかった。ところが、この事実を私は見たのだ。
それは昭和十四年の五月の初めにさかのぼる。所は南インドのマドラス市であった。参謀本部第二課の調査員として教徒問題の調査を担当することになった私は、まずインドにいる回教徒の民情を調査するため、マドラスのインド人ホテルで生活していた。その間、とくに親しくなったのは、でっぷり肥えた四十歳ぐらいの、人のよさそうな医者だった。彼は、インドの風俗習慣や気候など、調査するために必要な具体的なことをいつも話してくれた。
ある日、夕食をご馳走になったのち、コーヒーを飲んでいる時のことであった。ぽつんと私に、「インドにはおもしろいものがいる。心臓を自分で止めてしばらく死に、また生き返ってみせる見せ物だ。明日見物に行かないか。」と誘った。
からかわれているのかと思ったが、医者の言うことなので、もしやという気持もあり、「その見せ物の実演者はどういう人ですか。」と尋ねてみた。彼は「ヨギ」だと答えた。
「ヨギ」──私にははじめての言葉だ。彼の説明によると、ヨギとは、ヨガを専門に研究したり、実行する人のことで、「ヨガ」というのは五千年ぐらいまえに起こった、インドの古い心身訓練法とのことだ。ヨギの中には、長年の訓練によって、ときどき特殊な能力の発達した者がいて、心臓を自由に止めたり動かしたりできる。中には冬眠状態にはいって、一カ月ぐらい生き埋めになり、また生きかえる者さえある。一週間ぐらいまえからマドラス郊外の寺にお祭りがあって、その見せ物の中に心臓を止める実演がある。昨日見て来たが、こういう見せ物はインドでも、そうめったに見られないから、ぜひ見ておいたほうがよい、とのことだった。
心臓を止めるなんて、たぶん上手なトリックだろう。そうは思ったのだが、日本へ帰ってからの話の種になるだろうと、翌日その医者に案内されて見物に出かけた。
寺に近づくにつれて、原色で着かぎった老若男女が数多く往来していた。しかし、外国人は寺にはいれないと彼が言うので、やむをえず塔を石壁の外からだけながめて、すぐ見せ物のあるという広場に向かった。
広場には日本の祭りと同じように、雑然といろいろな物を並べた露店があり、ところどころにテント張りの見せ物小屋があった。木戸番のような男が大声で客を誘っていた。私たちがはいったのは、見せ物小屋の中でもひときわうすぎたないテントで、舞台ではインド舞踊の最中であった。お客は、四、五十人ぐらい集まっていた。私にはそのおどりよりも、むせかえるようなテントの中の暑さと、インド人独特の体臭が鼻につき、吐き気をもよおすような不快感をおさえることにけんめいだった。
目の前で死んでいくヨギ
休憩のあと、いよいよヨギのショウだと医者が教えてくれた。舞台の上では半袖半ズボン姿の色の黒い男が出てきて、インド語で司会をはじめた。この司会者のだらだらした前口上が終わって現われ出たのは、五十歳ぐらいかと思われるヨギであった。髪を長くのばし、肌の色はあまり黒くない。体には黄色の衣一枚を無造作にまきつけていたが、目だけがいきいきと輝いていた。それが無気味なほど印象的であった。
こわれかけた肘かけ椅子が舞台中央にもちだされると、ヨギはゆっくりとそれに腰をおろし、静かに細い両腕を肘かけの上にのばした。なぜ彼はあんなにやせているのだろうか。ヨギはすでに医者を知っていたのか、彼に立ち会ってくれと要請してきた。私も好奇心から医者について舞台に上がった。医者はヨギの右手の脈を押さえ、私に左手の脈をおさえるよう目くばせした。ヨギの脈搏は正常だった。
五分ぐらいたって、ヨギは「始めますよ。」と英語で言った。そして椅子にふかぶかと寄りかかった。両眼をとじ、しばらく呼吸をはあーはあーと繰りかえした。やがて力いっぱい息をふーっと吐きすてた。その後、呼吸はだんだんと穏やかになっていった。私たち二人は沈黙したまま脈をおさえつづけていた。五、六分ぐらいもたったころだろうか、とつぜんヨギの体がぴくぴくと激しく痙攣をはじめた。それも一分ぐらいつづいただろうか、痙攣は止まってしまった。そのとき、医者が小声でうながしたので、私は急いで脈に注意を集中した。脈搏は前よりもだいぶ弱まり、顔色もいくぶん青ざめてきた。やがて脈搏がときどき止まるようになり、不規則な打ち方になってきた。そして二、三回大きくうったあと、まったく止まってしまった。
ヨギの顔を見ると、死人のように真っ青だ。医者は無言で時計をゆびさした。何分間心臓が止まっているか見ていろ、という合図だ。つぎに、医者は聴診器をとりだして心臓が止まっていることを確かめた。そして聴診器を私に手渡してくれた。私の耳にも心臓はなんの音も伝えてくれなかった。
さきほどまでざわめいていた約五十人ばかりの見物人も、私たちのそぶりやヨギの顔色が死人同様になったことから、何が起こったかを感じたようだ。テントの中は無気味なほど静まりかえって、小屋の外の騒音だけがやたらに耳を打ってきた。
私はじっと時計を見つめていた。二分……三分……五分……ヨギは、手も顔もだらっと力がぬけたようだ。そーっとその手にふれると、もう冷たくなっていた。ほんとうに死んでしまったのではなかろうか。なんともいいようのない不安と気味悪さにおそわれた私は、医者のほうをそっと盗み見た。彼は平気な顔をしている。
ふたたび鼓動は打ちはじめた
テントの中は、青ざめたヨギを中心に、無気味な沈黙が支配していた。ドクターは右手の脈をおさえたままだ。ついに三十分ほどもたってしまった。私はヨギと医者の顔を交互に見くらべていた。
とつぜん医者がヨギの脈をとるように私に合図した。私はこわごわと脈に手を当ててみた。脈はぴくりぴくりと動きはじめたではないか。私は思わず息をこらして脈に注意を集中した。じょじょに一打ち、また一打ちとその脈搏は強まっていき、だんだんと規則的になってきた。私は夢からさめたような感じがして、見物人たちを見まわした。客席にも安堵の色がうかび、それはやがてざわめきとなっていった。
私は手をはなしてヨギの顔をじっと見つめた。まだ目はとじたままだ。ヨギは一呼吸、二呼吸と大きな溜息にも似た呼吸をしたかと思うと、皆が凝視している中で、体をぶるぶるとふるわしはじめた。それからぼんやりと目をあけた。テントの一画をじっと力なく見つめたまま、ときどきまばたきをした。顔色はまだ死人のように真っ青であった。
目を開いてから五、六分もたったころ、ヨギは立ちあがろうとしたが、ふらふらとまた椅子の中に倒れこんだ。まだ放心したような状態だった。すると数人の男が舞台裏からでてきて、椅子に掛けたままの彼を楽屋に連れ去った。
ホテルに帰ってからも、私はどうしても納得がいかなかったので、ベッドに寝ころんだまま、いくども自分自身にその疑問をぶっつけてみた。
──今日見た光景は事実なのだろうか。たしかに心臓はとまった。顔も死人のようであった。もし事実だとすれば、どうしてそれができるのだろうか。──しかし、われわれ二人を含めて、見物人全部が上手な催眠術にかかったのではなかろうか。もしトリックとすると、どんなトリックなのだろうか。
それ以来、私はヨガというものに関心を持ちはじめた。仕事の合い間をみては、ヨガに関する本を読んだりして、このトリックを解明しようと思った。そして、せっかくインドにいるのだから、もう一度、ヨガの実演を見たいものだと、あちこちひまをみつけては捜しあるいたのだが、なかなかお目にかからなかった。
七月のなかばごろ、私は新しい任地として、マドラスからカルカッタへ転勤を命じられ、汽車で出発した。途中、車掌と親しくなり、プリーという町で年に一回のお祭りがあるから、途中下車をして見物したらどうかとすすめられた。私は、それほどいそいでいなかったので、お祭り見物をすることにした。
そして、そこで私はヨガのショウをもう一度見たのだった。以前にもまして、それは、信じられない見せ物であった。
【目次】
まえがき
一章 二十世紀に生きる東洋の神秘
───はたして、それは魔術なのか
・心臓が止まっても生きている人
・まいた種が二十分で木になる術
・財布の中身をぴたりとあてる老人
二章 ヨーロッパ人の集まるヨガ研究所
───呼吸・体操・食事で真の健康をつくる
・ほんもののヨガと、にせもののヨガ
・記念すべきヨガ入門の日
・体のゆがみが病気のもと
・二十五日間の断食ができた
三章 岩窟の中のテレパシー
───人の心を読む秘法
・相手の考えていることがわかる術・テレパシー
・テレパシーと透視術の実習
四章 ゴンド族の性生活
───文明人が失った性能力
・性を研究する「タントラ・ヨガ」
・解放されたセックス
・性能力を高め、コントロールする方法
五章 一カ月も冬眠する人間
───精神で肉体をコントロールする
・体じゅうが自由に動かせる人間
・土の中に埋められて一ヶ月生きているヨギ
六章 百五十二歳の老人をたずねて
───どうすれば長生きできるか
・百五十二歳のヨギに会う
・赤ん坊のような体をした百三十八歳の老人
・長寿の条件はなにか
七章 ヨガ実践教室
───病気を直し、強く美しくなる法
・ヨガをはじめるまえに
・病気を直すヨガ教室
・女性のためのヨガ教室
復刊に際して
* 第七章をさらに発展させたものに『沖ヨガ美療』(季節社)があります。興味を持った方は、そちらも参考にしてください。